がんばれ米国がんばれ米国 ぼくは限界だ

駿河客分血尿録(表題ココまで)

戊戌 二黒赤口 曇時々晴

相模国府に参内。しかし一刻(2時間)も遅参すれば、新中納言様への拝謁は
叶わず……。臣下としてあるまじき非礼に恐悦至極なり。
言い訳が許されるのであれば、平日激務に接ぐ激務で慢性睡眠不足の身であれば、
土曜の午前中に参内するのは大変骨の折れるコトなのである。
されど、驚くべきコトに新中納言様は言付けのメモを小生に残していた。
曰く「正八位上駿河客分民部小録柏田殿へ 先般の検査では4年連続<font color="#ff0000">潜血</font>反応あり。前年より悪化してるゆえ、ヒニョーキ科で精密検査を受ける
ように。@新中納言
……
あまりのコトに茫然自失。しかしながら、何ら自覚症状がないのにヒニョーキ科
とは尋常でない。
思えば4年前は、白血病の疑いが浮上し7月の青森旅行が風前の灯火となった
コトは(結局、再検査でシロになり無事旅行できたが)良く覚えている。
今回も能登遠征計画を固めつつある段階での難儀な話でヘキヘキである。
今ココで健康不安がオオヤケになれば、職務の継続にも暗雲となるではないか。
幼少より病弱で、20代はこき使われて、30代(←あ)で2度入院した身である
から、もとより長生きできるとは思っていないし、したいとも思わない。
けれども、もいちど奇跡を起こさずして逝くワケにはいかんわな。