吾妻鏡の終わりは唐突で無味乾燥

乙酉 一白先負 曇一時小雨 

鎌倉幕府の公式記録、吾妻鏡は、1180年(治承四年)4月9日、
平家打倒のキッカケとなった以仁王の令旨によって華々しく始まったが、
元寇文永の役=1274年)を前にして、唐突で無味乾燥な一行で終わっている。

1266年 (文永三年 丙寅)
7月20日 庚戌 天晴
戌の刻前の将軍家御入洛。左近大夫将監朝茂朝臣六波羅亭に着御す。