サマータイム・ブルース(RC) 1/3

<font color="#3cb371">「鴫宮の手記-杉野伊勢守物語 第十八話」</font>
癸巳 九紫友引 晴ときどき曇

(ザ・シギミヤタワーにて、伝聞)
07:00、私邸。朝の来客なし。
08:00、起床。
10:30、発進!
11:15、相模国府到着。
11:30、従四位下左衛門督、小松原様に6度目の拝謁。
「まず、東日本大震災の被災者の皆さまに心よりお見舞い申し上げます。
3月11日当日のこと、その後のこと、140文字以内で断片的に語っては
いましたが、まとまって発言したことがありませんでしたので、自分の
体験したこと、思ったことなどを語ろうと存じます。
3月11日は金曜日で、当日は朝10時から教室に居ました。
予感とか虫の知らせなんてものとは違うと思うのですが、妙に落ちつかず、
早めに上がろうと思っていて、15時過ぎたら株価見て帰ろうと思ってました。
で、14時46分ですか?運命の時間がきまして、最初は『いつもの震度3の
地震だろう』と高を括っていましたが、だんだんと体験したことのない
ような激しい横揺れがきて『これはヤバイ』と思い、ドンと地面が突き上げ
られて棚の書籍等がドサドサと落下しました。『みんな外に出て!』と
スタッフから指示があり、とりあえず外へ、もう心臓がバクバクでした。
30〜40分の間に何度か激しい余震がきて、とても不安だったです。
携帯電話の通話はつながりませんでしたが、データ通信でツィッター
アクセスすることはできたので、『私は無事です』と入力したのは、
最初の地震の1時間後ぐらいだったでしょうか。結局その日は講座打ち切り、
<b>バス5本を乗り継ぎ6時間かけて自宅に帰る</b>ことになったのです。
あいだあいだに街頭TV等で”津波で車が流される映像””青森から九州まで
太平洋岸が津波警報の赤色に染まった画”を見ましたが、現実感がなく、
とにかくなんとしても日付の変わらぬうちに帰ろうと思っていたのです。
家に着いたのは23時で、自分の部屋は無造作に棚に積み上げていた、本CD
DVDの類が大量に落下して散乱し、ドアが開けられぬほどでしたが強引に
開けて、片付けは翌日にすることにしてTVつけっぱで寝たのです。
12日は部屋の片付け、13日は確定申告書の作成でいっぱいいっぱいで、
福島第一原発の爆発事故もその時点ではあまり重要視できなかったのです。